つながり・支え合い生活文化情報室
代表 木村 利浩 (きむら としひろ)
食品加工業界紙や建設業界紙の記者などを経て2013年9月より特定非営利活動法人全国コミュニティライフサポートセンター(=CLC、宮城県仙台市)に勤務。東日本大震災の被災者支援情報誌の制作・発行に携わりながら、「高齢でも暮らしやすい地域」や「暮らしのなかにある住民同士のつながりと支え合い」などをテーマに、全国各地の生活文化や住民活動を取材。
福島県昭和村の第1層生活支援コーディネーター(2016年度)を務めたほか全国各地で生活支援コーディネーターのサポート業務に従事。住民同士のつながりと支え合いを地域福祉の資源として評価し、これらを「高齢でも暮らしやすい地域づくり」に生かす方策を提言してきた。全国各地の取材成果を基に、介護・福祉サービスに過度に依存しない、住民同士のつながりと支え合いを生かす高齢期の暮らしのあり方について講演活動を行ってきた。
2026年5月、CLCを退職しフリーランスに。「つながり・支え合い生活文化情報室」を立ち上げ、取材や情報発信、講演活動などを継続。
1967年12月生まれ。宮城県大崎市出身、仙台市在住。
皆さまにお伝えしたいこと
「老い」も「大震災」も他人事?
私が40代半ばの頃まで抱いていた「高齢期の暮らし」のイメージは、端的に言えば次のようなものでした。『体の自由が利くうちは家で気ままに暮らし、思うように動けなくなってきたら介護施設の世話になり、施設か病院で死ぬ』
「気ままに暮らす」「介護施設の世話になる」と言っても、それがどんな生活なのか、具体的な内容は浮かんできません。40代の私にとって高齢期はまだ遠く、あれこれ思いを巡らせるほどのことでもなく、あえて想像してみようとしても、手がかりがほとんどありませんでした(私は核家族家庭で育ちました)
そんな当時の私に「老い」とは何かと問うたら、どこか投げやりな態度で、きっとこう答えるでしょう。「身体、認知機能は衰える一方。仕事を失えば社会との関わりも失う。老いとは、弱り衰えて孤独になること。認知症にでもなったら、いっそ死んだほうがマシか?」
まさにお先まっ暗です。
どんなに考えても、老いとその先にある死に対しては、不安、恐れ、嫌悪の入り交じった感情がわいてくるだけだったように思います。臭いものにはフタというわけで、直視を避けて他人事のように捉えていました。
いまの私(これを執筆している2026年5月時点で58歳)が当時の自分に会えたら、こう言って聞かせたいと思います。
「世の中には、80歳、90歳を過ぎても、一人暮らしになっても、少しぐらい体が不自由になっても『私はいま幸せだ』という人がいる。自分の好きなことや得意なことをしながら家族や友人や地域の役に立ち、あるいはお茶飲みやサークル活動などで楽しい時間を共に過ごす仲間がいて、その仲間同士で助け合いながらぎりぎりまで自宅で充実した生活を送る人がいる。高齢期は単なる人生の下り坂じゃない。幸せと言える過ごし方がある。お前はこれから10年掛けて、それを学ぶんだよ」
その10年とは、どのようなものだったのでしょうか。
私がNPO法人全国コミュニティライフサポートセンター(CLC、宮城県仙台市)に入職したのは2013年9月。当時45歳です。CLCでの私の仕事は、東日本大震災の被災者支援の現場を取材し、情報紙を発行することでした。ちなみにそれ以前は、建設業界や食品加工業界などの業界新聞の記者として働いていました。
大震災の発生は2011年3月11日。私がCLCに入った時点で、すでに発生から2年半ほどが経ち、被災地では仮設住宅の整備、入居が進んでいました。少しだけ大震災の被害状況を振り返っておくと、死者・行方不明者は合わせて2万2千人あまり。全壊した住宅12万2千棟以上。仮設住宅や「みなし仮設住宅」に身を寄せた人は31万人を超えていました。
被災者の仮設住宅での生活と、その後の災害公営住宅などへの転居では、特に高齢者の孤立や心身の健康状態の悪化をどう防ぐかが常に大きな課題でした。岩手・宮城・福島の各県に何百人もの「生活支援相談員」が配置され、戸別訪問による見守りや相談対応、交流や介護予防を目的としたサロン活動に従事していました。
なお、私自身の震災被害は軽微でした。仙台市郊外に借りている家のなかが倒れた家具や棚から落ちたもので足の踏み場もない状態でしたが、ただそれだけです。被災の程度が軽かったこともあり、私は大震災を「老い」と同様に自分とはあまり関わりのない、どこか違う世界の出来事のように捉えていました。他人事のように捉えることで「複雑で面倒くさい現実」から逃げていた、とも言えます。
高齢でも被災しても「幸せ」
さまざまな災害や事件・事故に巻き込まれ、家や家族を失い、従来の生活基盤や人間関係から切り離された状態に置かれる、それはどんな経験なのでしょうか。長く生きれば誰にでも訪れる老いの実情とは、いかなるものなのでしょう。いままさに「老い」や「被災」を生きる人たちは、その危機をどう乗り越えていこうとしているのでしょうか。そして、「高齢者」や「被災者」を支援する立場にある人たちは、一体何をしようというのでしょうか。CLCでの取材仕事は、結果的にそうした疑問への、なにがしかの答えを見出そうとすることでもありました。私が直視して来なかったもろもろに(間接的に、ではありますが)関わりを持たざるを得なくなったわけです。
私は介護や福祉分野の職歴はまったくなく、両親や祖父母の介護もほぼ必要ない生活を送ってきていました。高齢者の介護や生活支援はどうあるべきかといったことについての考えなどなく、制度的にどんなことが可能かという知識もない、白紙の状態で高齢者・被災者に向き合ったのです(CLCに採用されたのは、業界紙での記者経験が買われてのことだったようです)
CLCで働き始めて1か月ほど経った2013年10月、ある仮設住宅の共同農園を取材しました。仮設住宅のなかには、入居者や支援団体が敷地内や近隣に農地を確保し、健康増進と交流を目的に畑や花壇をつくっているところがあったのです。そうした共同農園を利用する80代の女性が、こう語るのを聞きました。
「草むしりも畑仕事も大好き。私は昔から農家だから、とっても楽しい。幸せです。畑で作業しているときは、笑顔です」
収穫したものは仮設住宅の住民同士で分け合うほか、ときには料理して一緒にいただいたりもするようでした。女性は、少々おぼつかない足取りで畑に出て野菜を育てます。その収穫を喜んでくれる人がいるのがうれしい、とも言いました。
震災で家を失い仮設住宅の一室に一人で住まう高齢者が語る「幸せ」という言葉の本当の意味を、この頃の私はまだよく分かっていませんでした。私の受け止め方はせいぜい、農地を確保して被災高齢者に畑仕事の機会を設けた支援団体への評価を裏付けるコメントの一つといった程度です。とはいえ、思いがけない言葉ではありましたから妙に心に引っかかり、取材を終えて引き上げる車中ずっとこんなふうに考えていました。
「被災、高齢、独居の状態で、なぜ幸せと言えるのか。畑仕事がそんなに楽しいのか。そもそも幸せって何だ。同じ状況に立ったとき、私は幸せと言えるだろうか。いや、たぶん無理だ。でも彼女は『幸せです』と言った。無理に強がるそぶりはなかった。明らかに、正直な気持ちを言い表していた。年を取っても幸せって言えるようになるには、どうしたらいいんだ」
仮設住宅に住む人から幸せという言葉を聞いたのは、あとにも先にもこれきりでしたが、その後私は同じ言葉を何度も、自宅で暮らす80~90代の人たちから聞くことになります。私の取材対象が2015年以降、被災者かどうかを問わず、全国の高齢者へ(特に元気な高齢者へ)と拡大したのです。この年、介護保険制度の一部改正に伴い、生活支援体制整備事業がスタートしています。同事業に基づき、各市町村に生活支援コーディネーター(地域支え合い推進員)が配置されました。コーディネーターは、住民が「高齢でも暮らしやすい地域づくり」に取り組むのをあと押しすることが求められます。その地域づくりの内容については、見守り活動や介護予防サロンのほか、有償・無償の生活支援サービスの立ち上げと運営が想定されているようでした。
こんな「サロン」はイヤだ
見守りや介護予防サロンは、仮設住宅の集会所などでも、主に生活支援相談員が担い手となって行われていました。一生懸命活動していた生活支援相談員の皆さんにはたいへん申し訳ないのですが、自分が将来、見守りの対象となり、サロンの利用を勧められるようになったらと思うと、ぞっとしました。老いに対する不安や嫌悪よりも、周囲から「孤立しがちなひきこもり高齢者」「要支援者」として扱われるのがイヤだと感じました。生活支援相談員のような見ず知らずの支援者が定期的に訪ねて来たり、電話を寄こしたりして、猫なで声で「お元気ですか」などと聞くわけです。ありがたいとか安心だとかいうより、正直「うっとうしいし、屈辱だ」と思いました。
たとえば、「楽しいから来てみて」と誘われて行った集会所では、自分も含めて歩くのもやっとの高齢者ばかり集められています。介護予防サロンです。テーブルには飲みものと茶菓子が並び、自分よりはるかに年下の世話人かインストラクターが、さあおしゃべりしましょう、歌を歌いましょう、ゲームを、体操を、脳トレをと次々いろんなことをやらせます。どこか幼稚園か保育所の子どもたちの「お遊戯」に似た光景が繰り広げられます。幼い子どもたちが高齢者に入れ替わったかのような状況は、ちょっと目を背けたくなります。自分はこんなことはしたくないし、自分の親にもさせたくないと思いました(あくまでも個人的な所感です)
被災地ではありませんが、あるデイサービスで、高齢者がおもちゃの魚を磁石で釣り上げるゲームをさせられているのを見たことがあります。本物のつり堀に連れて行ってくれるデイがあればいいのにと願望せずにはいられませんでした。被災地であろうとなかろうと、非常時でも平時でも、高齢者の弱さばかりが強調され、支援の必要性が叫ばれるほど「なんだかお荷物扱いだ。勘弁してほしい」と思うのです。私が生来ひねくれ者だからでしょう。
監視のような見守りやお遊戯めいたサロンを普及させることが「高齢でも暮らしやすい地域づくり」だとしたら絶望的です(繰り返しますが、あくまでも私個人の所感です)。取材対象として関わることはあっても、もう私のようなひねくれ者には関係のない、居場所のない世界だと思いました。でも、取材の過程で幸いにしてというか、案の定というか、見守りを断ったり、サロンを敬遠する人が少なくないと知りました(特に男性に多いようです)。ひねくれ者は自分一人じゃないとわかって少しほっとしました。
取材を通じて、サロンは担い手不足や利用者数のじり貧傾向に直面し、継続が困難になるケースが増えているらしいことも見えてきました。
一方、生活支援体制整備事業では、サロンなどのサービスを新たに立ち上げるだけでなく、住民同士のつながりと日々のお付き合いという、すでに「あるもの」「できている」こと(つながりと支え合いの生活文化)を見守りや介護予防活動、生活支援の資源と位置付け、生かすべきだという考え方が示されていました。
サロンとは呼ばれない「サロン」
国が示した介護予防サロンや住民ボランティアによる見守り・生活支援などのサービス類型は、あくまでも例示であって、市町村は地域の実情を踏まえてそれぞれに異なる「介護予防」「見守り・生活支援」のあり方を定めていいことになっていたのです。介護予防サロンは、私個人が「勘弁してほしい」と思うようなものだけでなく、実質的に介護予防効果が期待できる社会参加の場であれば、必ずしも介護予防体操や脳トレに励まなくても「サロンと同等の効果が期待できる資源」と見なしていいわけです。
CLCは2015年以降、生活支援体制整備事業の助言・サポート業務を全国で手がけています。そのなかで私は、地域に「すでにあるもの」「できていること」を探して取材し、介護予防や生活支援の資源として位置付けるお手伝いをしてきました。地元の生活支援コーディネーターはもちろん、行政の事業担当、保健師、社会福祉協議会(社協)の地区担当、民生委員、自治会・老人会の役員など地域の事情通の皆さんとともに、住民同士のつなががりをたどり、サロンとは呼ばれない集いの場を取材して歩きました。
私はすぐこの仕事に夢中になりました。サロンでなくても同等またはそれ以上に介護予防や孤立防止、生活支援に資する場や活動、すなわちサロンとは呼ばれない「サロン」が地域なかに、住民同士のつながりを基盤として、無数に存在することがわかったのです。それらは「福祉臭」がありません。弱者としてあしらわれる屈辱感とは無縁で、気軽さ、楽しさ、安心感に彩られていました。
介護予防に限らず、子育て支援や交流を目的としたサロンのほか、地域食堂やコミュニティ・カフェなども含め、福祉的な看板を掲げるものだけが地域福祉の資源と見なされがちです。しかし、福祉は事業や制度、仕組みとして動かすものだけでなく、暮らしのなかにもあります。人と人が交流し、つながりを育む場や活動は、実はすべて福祉的な価値を持つサロンです。ちょっとした井戸端会議、家やなじみのお店でのお茶飲み、田畑や作業場での一服、仲間同士の飲み会などは、すべてサロン、どこでもサロンです。
従来の福祉の枠組みにとらわれずに暮らしを見つめ直すと、地域にはたくさんのサロンがあることに気づきます。サロンはどこにでもある、たとえサロンと呼ばれなくても、見守りや健康づくり、支え合いの場は地域にいくらでもある、そのなかにはきっと、私のようなひねくれ者も参加できる、参加したいと思うものが見つけられると確信しました。さらに取材を進めるうちに、サロンや地域食堂、コミュニティ・カフェなどのなかにも「福祉臭」のないものがあることがわかってきました。ちょっとした運営の工夫や元々の住民同士の関係性によって、サロンなどのあり方もずいぶんと違ってきます。
そのことは私にとって、来るべき高齢期への最良最善の備え、希望となりました。一人暮らしになっても、多少体が不自由になったり、持病を抱えたり、認知機能が低下したとしても、あるいは突然の災害に見舞われたたり、コロナ禍にあってさえも、「いま幸せだ」と言える暮らしを送る、その可能性が見えてきました。高齢期のイメージはもはや「お先まっ暗」でも「人生の下り坂」でもありません。衝撃的な人生観の転換です。
繰り返しになりますが、地域にはサロンと同等かそれ以上の介護予防や孤立防止、生活支援の効果が期待できる集いの場が多数あります。担い手を養成するまでもなく、補助金や助成金を必要とせず、住民の自発性と主体性に基づき、暮らしに根付いた生活文化として、さまざまな集いの場が営まれています。
高齢期を過ごす知恵と工夫
このウェブサイトでは、2015年以降10年にわたって私が取材してきた「サロンとは呼ばれないサロン」の具体事例と、これを地域づくりに生かそうという生活支援コーディネーターらの取り組みを(ごく一部ではありますが)紹介します。また、今後「つながり・支え合い生活文化情報室」(つなささ情報室)として新たに取材した成果も随時掲載していきます。
取り上げる具体事例はすべて、高齢でも一人暮らしでも、多少体が不自由になっても、自宅で元気に暮らす人たちの日常の一コマなのですが、そこには充実した高齢期を過ごすための知恵と工夫が詰まっています。それは地域福祉の資源についての私たちの視野を広げ、高齢期の暮らしのあり方や地域づくりの方向性について貴重な示唆を与えてくれます。
生活支援体制整備事業に即して言えば、サロンを立ち上げる前にまず「サロンとは呼ばれないサロン」を見つけて資源として評価する。そのうえで、生活支援コーディネーターと住民が協議体などを通じて地域づくりの方向性や手法について検討する。そのほうが、地域づくりの主体となる住民にとっても、支援するコーディネーターにとっても、少ない負担で高い効果を実感できるのではないでしょうか。
ところで、コロナ禍ではサロンはほぼ全滅と言っていいありさまでした。一方で「サロンとは呼ばれないサロン」は、親しい人たちが感染防止に配慮しながら集まることを諦めず、つながりを保ち、孤立を防いでいました(そうした事例も本ウェブサイトで取り上げています)
私たちにとって本当に望ましい地域福祉の資源とはどういうものなのか、その検討や議論のきっかけとして、このウェブサイトを役立ててもらえれば幸いです。
結びに、高知県佐川町の社協職員で共生型の介護・福祉・交流施設「ぷらっとホームさかわ」の施設長を務める田村和裕さんが、かつて私に語ってくれた言葉を紹介します。このウェブサイトが皆さんに伝えようとするところの核心が言い表されています。
「地域福祉は、それ自体を目的として何かするというより、むしろ住民同士のつながりのなかで副次的に実践されるものではないでしょうか。そのほうが健全というか、本来のありようだと僕は思うんです。つながりは、ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)という言い方もありますけど、地区の祭りや運動会、交流イベントなどをみんなで盛り上げ、楽しむことで育まれます。そして、つながりがあるから困りごとを抱えた人にすぐ気づくし、気づけば放ってはおかない。そういう気遣いや支え合いの基盤として、人と人のつながりがあります。つながりが地域に蓄積されていく前提に『一緒に楽しむ』ということがあります。一緒に楽しむ、それが結果的に地域福祉の向上をもたらすわけです」
なお、本ウェブサイトで紹介する「サロンとは呼ばれないサロン」などの事例情報に登場する人たちの年齢や所属、生活状況などは特に断り書きがない限り取材時点のもので、現在では異なっている可能性があります。団体の活動などについても同様です。
「高齢でも暮らしやすい地域づくりに生かすために」という取材の意図に深い理解と共感を示し、よそ者である私を暮らしの場に招き入れてその一コマを垣間見せてくださった皆さんには、本ウェブサイトで取り上げたかどうかに関わらず、心から感謝申し上げます。
2026年5月18日 つながり・支え合い生活文化情報室代表 木村利浩